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posted by 1(いち)
 
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連想ゲームみたいな話の仕方
連想ゲームみたいな話を仕方をしてみる。

今日もバッティングセンターに行った。
けど2球くらいしか当たらなかった。
全部バッドが球の下を空振り。
恥ずかしい。

そんで素振りの練習をしよう!と思って、
小さい頃使ってたバッドを探しに実家に行って、
倉庫みたいなのをゴソゴソと探したけど、
見つからなかった。

バッドと言えば、高校の時に友達の家に行ったら
そこのお母さんと友達が喧嘩し始めた会話を思い出す。
友達母「あんた!バッドなんか持って何をしようって言うの!?」
友達 「何もしねえよ!」
友達母「それで殴ろうって言うんじゃないだろうね!?」
    バシイ!カランカランカラン・・・
友達 「おい!お前俺の思い出のバッドに何すんだよ!」
友達母「思い出のバッドで何かしようとしてたのは自分でしょ!」

っていう会話でフイタ事がある。

その会話はまだ続いてて、
友達母「あんたそんなんだから昔みたいに、
    とうきょうきょひ、とうきょ、とうきょうこうひ・・・」
友達 「東京コーヒーって何だよ。登校拒否だろ!」

っていう会話でさらにフイタ事がある。
殺伐としてるのか漫才してるのかよくわからなかった。

そういえば昔、
友達と三人で野球やってて、
自分が打者でボールが来たからフルスイングしたら、
見事にいい当たりの感触がバッドから手に伝わってきたんだけど、
キョロキョロしても球がどこ飛んだかわからなくて、
ふと見たら足下にボールが転がっててさ、
「?」と思ったら、
キャッチャーしてた友達が頭抱えて地面に倒れてたのね。

おもいっきり友達の頭をインパクトとらえてたの。
ありゃー酷い事をしたな、と未だによく思い出しますね。

友達に酷い事をしたなーって言うのだと、
幼稚園の時に父親に柔道教えてもらってて、
自分の中でマイブームだったもんだから、
幼稚園の同級生にふざけて何の身構えもしてない時に、
不意に背負い投げをしてしまったんだよね。
それも2度程。
1回目は体育館でやって、
2回目は最悪な事に投げたら階段から落ちていってしまった。
あれは本当に酷い事をしたなと、今もよく思い出します。

幼稚園の時の体育館なんて、当時はもの凄く広く見えたけど、
グーグルのストリートビューが出来て、
自分が通ってた幼稚園を見に行ったら、
もの凄く全てが小さくて、
園庭のバスケットゴールなんか、ダンク出来そうな位低かった。

ストリートビューが出来た時は、
本当に画期的に思えて、
昔住んでたところなんかを色々見に行ったなあ。
延々と、通学路だった遊歩道を歩いてみたり。

その遊歩道っていうのが昔、変な人が多い遊歩道で、
よく「10円あげるよ」とか「日本語ノ練習サセテ下サイ」
とか、知らない人に話かけられていた。
自分の兄弟も同じく知らない人によく話しかけられてたらしい。

小さい頃はよく知らない人に話しかけられてた。
みんなそうなのかな?結構怖かった。
よく言われたのは、
「ねえ君、ちょっと気になったんだけど、
 男の子?女の子??」とか話しかけられたあげく、
「そうなんだ、じゃあこれあげるね」
とジュースとか小銭を渡される事があった。
今思うと怖すぎる。

田舎や下町でもなかったんだけど、
20年程前ってのはそういうのが許される時代だったんだろうかね。

そしてそろそろ寝て、
明日もCSSの勉強を、頑張る。
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posted by 1(いち)
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[友人の話
偶然ってやつは
私は倒産しかけた会社を目の前に逃げ、ニートになりました。
社長夜逃げ→残って建て直しを試みてみる→もうムリポで引きこもりニート
です。

現在働き始めましたが、
前会社の事は逃げた時のままの状態でした。

そして今朝、
電車で偶然に前の会社の役員と会いました。
約半年ぶりでした。

限られた時間で細かい話しは出来ないので、
改めて人を介して連絡をくれるように伝え、私はその場を去りました。

そして昼、その役員と個人的関係で仲が良いらしい、
行政書士さんから電話がありました。

仕事中だった為、電話には出ませんでしたが
後日かけ直そうとおもっています。
ただそれだけの事なんですが。

先日、
「ニートは時間があるんじゃなくて
やらなきゃいけない事をよけて
時間をつくっているだけ」
と、誰かが教えてくれました。

むかし、夏休みの宿題って、
宿題提出が遅れた人は、
新学期にクラスに残って宿題をやらされたりもしましたね。
それでも提出しない人もいましたね。

私は宿題を溜めてしまった自分を戒めながら、
しばらく宿題消化に努めたいと思っています。
posted by 1(いち)
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[前会社の話
「やらなきゃ出来ない奴と同じで意味が無い」
小学校からの腐れ縁の友人「ユウ(仮名)」の話。
もとい、「ユウの姉(当時30才)」の話。

ユウの姉は、一言で言うと「元ヤン」である。
現在は子持ちで落ち着いた生活を送ってはいるが、
性格は今もキツく、とてもサバサバしている。

中学3年、季節は受験シーズン、
毎日のようにユウの家で受験勉強をしていた時のこと。

この日は
・ユウ
・ユウの叔母
・ユウの姉
・自分

の4人がその場に居た。

会話は自然と勉強の話になる。

ユウの叔母「勉強の調子はどうなの?」
ユウ   「いや、全然だめだよ、もう・・・」


ユウの偏差値は低く、
高校を沢山の選択肢から選ぶ事は出来ない状態だった。
しかし、両親の方針から合格は難しい高校を受験するように言われていたのだった。

ユウの叔母「ユウは昔っからやればできる子なんだからねえ」
ユウ   「うん・・・」


「やれば出来るんだから」よく聞く会話のやりとりだ。
そう思っていると、ユウの姉が口を開いた。

ユウの姉 「『やればできるやればできる』ってね、
      やらなきゃ出来ない奴とおんなじで意味ないんだよ
      コイツは『やらなかった』んだからしょうがないんだよ」

ユウ   「うん・・・・」
ユウの叔母「そうは言ってもねえ・・・」


「やればできる」けど「やらなきゃ意味が無い」
例え能力があったとしてもそれに甘んじて
行動と結果を出さなければ何の意味もなさないのは当たり前の事。
同じような意味を持つ言葉に
「俺はまだ本気出してないだけ」「本気出したらスーパーマン」
という言葉がある。
「大切なのは結果と行動である」
これは受験、仕事、人との接し方、全事象においても共通するものであろう、
と思う。

この言葉は、今も尚忘れる事なく自分に大きな影響を与えている。
posted by 1(いち)
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[友人の話
人の道にそれる事とは
中学時代の話。

当時、ロック(Rock 'n' Roll)が好きだった。
音楽もそうだし、精神としても好きだった。

精神というのは、
これという定義や正解がある訳ではないけれど、
「古くさい既製概念や社会体制などに対する怒りを表現する」
というのが一般的な共通認識だと思う。

この「間違った既成概念」と戦うには、
自らの中に「これ」という明確な正義が存在しないと出来ない。

自分はというと、
ただなんとなく共感していた。
「ロックな生き方とはなんぞや」と考えて
行動していた訳ではない。
明確な芯があったのかというと、わからない。
はっきりとは無かったが、
模索したまま、間違っていると思ったものに反抗していた。

ただ、なんとなく思っていたのは、
「何をしてもいい。けど人の道にそれる事だけはしない。」
だった。

言葉にすると非常に青臭い。

・・・

中学時代は、不良グループなるものが存在していた。
髪を染めたり、タバコをすったりといった行為は、
自分たちの特権であり、
仲間以外の人間がそれをするのは、気にくわなかったんだと思う。
「あぁん?おめぇどこのクラスだ?」といった感じ。

自分はグループ外なのに好きなようにやっていた事から、
この不良グループの人達からは広く嫌われていた。
不良グループではない友人に、
「よくやるね、攻撃されるのに」と言われた事があった。
けどそんな事はどうでも良かった。

しかし、
不良グループ内にも、凝り固まった人達だけでなく、
普通に話せる人もいた。

夏休み明けに校則違反の格好をしてきた事で、
「全校生徒が集まる朝礼に出席をさせる訳にはいかない」と
自分とその人と、二人で職員室の前で待たされた。

いつも遊ぶ輪が違う者同士なので、
話す機会はほとんどなかったけど、
注意されるのはわかっていながらも、
なぜこんな格好をして登校してきたのか、
きっと考えている事は同じなんだろうと感じた。

そして職員室の前で二人待たされてる間、
その人は普通に話しかけてくる。
こういう人間が居るという事は、なんだか嬉しかった。
少し違うけど、「同じ人がいる」と感じた。

しかし、今現在どうなったかというと、
だいぶ考え方は変わってしまった。

効率の良さを考えて、より機械的になっていった。
人との接し方も。

今一度、「人の道にそれる事」とは何なのか、
思い返して、
青臭くてもいいから初心に戻ろうと思った今日この頃でした。
posted by 1(いち)
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[友人の話
「人として」
中1の時の話。
両親と、中3の姉、自分、の4人で法事に出かけていた時の事。

この姉というのは、現在引きこもり兼ニートで、
当時からも偏屈な問題児だった。
問題児という点は今の自分も変わりはないけども。

とにかく、姉がこうやって、法事についてきたのは、本当に珍しかった。

法事も終わり、さてこれからどうするかと、
車の中で家族と話している時だった。

父 「近くまで来たから、叔母の所に行こう。」

近くに住む叔母の家に寄ろうと言う話になった。しかし。

姉 「は?法事だけでしょ?なんで行く必要があるの?」


姉は、面倒な法事に嫌々ついて来たのに、
この上まだどこかに行かなくてはならない事が、嫌だったのだ。

母 「近くまで来たから、挨拶に行くのよ。」

なだめる母親。

姉 「だからなんで近くまで来たら行かなきゃいけないの?」
母 「だから近くまで来たから・・・」
姉 「だからなんで行かなきゃいけないの??」


押し問答が続く。

父 「じゃあもういい、行かなくていい、帰る。」


父親はすぐ「じゃあもういい」になってしまうタイプだ。
母親はいつもそれをなだめる。

母 「いや、せっかく来たんだから」
姉 「だからなんで行かなきゃいけないの?」
両親「・・・・・(沈黙)・・・・・」


まとまりのない状態になっていた。
その時自分は、非常に恥ずかしい言葉を、はっきりとした声で言った。

  「人として」

   ・・・

姉 「はあ???」


姉に鼻で笑われた。
「気持ちわりい、こいつ自分に酔ってんじゃねえの?(笑)」
そういうニュアンスで笑われた。

自分もすぐ、「失敗した・・・」と反省した。
自分の中では正しい言葉だとしても、
姉がこのタイミングでこの言葉を受け入れるのかどうかは、
どう考えても無理なのはわかっていた。

当時は音楽のロックっていうジャンルが好きで、
それにかぶれていたのかもしれない。

(ロックというのは、Rock 'n' Roll(ロックンロール)
 アメリカ発、エルヴィス・プレスリーで有名なあの音楽スタイルの事です。)

ロックには、音楽以外の精神として、簡単に言うと、
「何をしてもいい、けど絶対人の道にそれる事はしない」
というものがあると思ってた。

今、この文章を真顔で書いている事が非常に恥ずかしいけれど、
当時は本当に、それを強く思っていた。

だから、大きな声でつい「人として」と言ってしまった。

今、当時の事を思い返してみると、
よく恥ずかしい事平気で言えたなと思うし、
ちょっと頭が悪かったと思うけど、
「人の道にそれる事はしない」という事、
これは今も忘れずに持っていなければいけない事だと思った。

大人になる度に、何かを得る代わりに何かを失って行く。
人の道にそれる事だけはしないと、
今は本当に出来ていたのだろうか。いや出来ていない。

良いものを得るためなら失うものがあってもいい。
ただ、大切なものは失わずに生きたい。
忘れたものは取り戻し、これからまた新しく作り直して生きたい、
そう思った今日この頃でした。
posted by 1(いち)
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[家族の話
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